遅くなりましたが明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
「縁は異なもの、味なもの」と言う言葉があります。これは男女間の言葉ですが、そのまま日本の住宅に通用しているから不思議です。それは住宅の縁側や濡れ縁のことですが、その縁が室内空間なのか、外部空間なのか判然としないところに、縁は異なものといわれる所以があるのです。
濡縁は、部屋から見ればガラス障子の外にあることから当然外部空間とみなされます。しかし外から見るとそこには、深い屋根や庇がかかり、また板敷の床もあることから純然たる外部空間とは申せません。
今はガラス戸を建てている縁側でも、濡縁で会った当時の面影をとどめて、天井を張らないで軒裏をそのまま見せるのが風通です。ここにも室内でもない屋外でもない異なものとなっている縁の姿がみられます。さらに縁は外でも内でもない中間の空間であって、室内と庭を見事に結びつけ調和させている味なところでもあるのです。縁側があることによって気安く庭にも出られますし、庭から室内にも上れます。又、縁先で近所の人と団らんもできます。室内の夏の暑さの調節の焼くも果してくれますし、室内の冬の寒さをやわらげてくれる場所でもあるのです。そして、部屋に広がりを持たす役も果たしているのです。
日本の住宅をみるときに、西欧の建築のように厚い壁で室内と外を区切る方法と違って、壁を設けずに開放的にして風通しのよい縁を設ける方法がとられています。このことは日本の住宅をどんなにか特徴あるものとし、又住み易いものとしているか計り知れません。
昨今の日本の都市では、スペースの問題などから、縁側のない住宅を多く見かけます。しかし、それらの住宅から物足りなさを感じるのは、私一人ではないでしょう。
縁は、日本的な生活をするために、大事な役を果す場所だからです。
降幡廣信
【住まい再考】
信濃毎日新聞掲載の過去のコラムです。