今なぜ民家なのか

 昨今、都会の団地のアパートに住む人間たちの間に、もし可能だとしたならば、茅葺の民家に住んでみたい。と云う希望をもった人が非常に多いと云う。
 

 しかし、かつての茅葺の民家は、日本の暗い生活、みじめな生活のイメージの残った最たるものであったように思う。
そう云うくらいもの、みじめなものから逃れ、そこから距離をとった場所が団地のアパートでもあるはずだ。そこは明るくて、便利に設計され、お店も又、隣近所も近くて都合よく、文化的な生活の場だったはずだ。
 

 アパートと民家、この両者の違いは対象的で面白い。使用される材料・構造・造られ方である。そして住宅の内容であり、生活の方法においてである。だから出来上がった両者にも大きな違いがあっても当然だろう。
現代の建物は、工場からの機械生産材を使用せざるを得ないため似通ってしまう欠点があるようだ。
 

 それとコスト面からだろう。団地のアパート群も、又一棟のアパートの隣近所の一軒一軒も、似通った外部と似通った内部にならざるを得ないのだ。
各戸毎に特徴を出そうと努力はしても、いたし方のないところがある。
対象的に民家は、地方毎に様々の色に染め別けられている。この狭い松本地方にも、本棟造と呼ばれる妻入りの板屋根があり、又平入りの板屋根があり、寄棟の草屋根があるように、実に多種多様である。
 

 又様式は同じでも、その土地の材料を使用し、手労働で造られているところに、同じものが二軒とはない、違ったものに出来上がることになるのだ。
隣近所、いや団地全体の家と似通った家に住んでいる人達にとって、二軒と同じでない自分達だけの家に住んでみたい気持ちを、自然の趣を豊にもった茅葺の民家に求めている気持ちもうなずける。
古くて、暗くて、不便な茅葺の民家にひそむ魅力を見直す時が来たようだ。

降幡廣信

 
 

【現代の住まいを考える】
信濃毎日新聞掲載のコラムをご覧頂けます。
コチラの記事は 1984年8月26日のものです。